気休めなもの。役立ちのもの。

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気休めなもの。役立ちのもの。

サルとイヌの共同ブログ

キャリアとか天職とか、好きとか嫌いとか、の話。

 

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いつか天職に巡り合う、ということはありえないんじゃないか、という話。

30代を迎え、今後のキャリアに漠然と不安を抱いたりしませんか。何を隠そう、私もその1人。そんなわけで、その不安を打破する方法を自分なりに考えてみました。
 

結論:人は「状態」や「環境」だけでは変わらない。

私の場合、働き始めてから6年間。海外出張で忙しかった最初の2年を経て、出張のない部署に異動した後は、いろんなインプットに勤しみました。勉強会に参加したり、人脈広げるためにいろんな人に会いに行ったり、デザインの学校に通ったり。振り返ってみれば、それらはじんわり良い効果を生み出しているのだと思いますが、結局それらの行動は「状態」と「環境」を変えるに留まっていました。即効性を求めて、「状態」や「環境」を変えてもそんなに長期的に自分はすぐに変わらなかった。
 
そこで何が大切だったのかと考えると、「状態」や「環境」から出てくる「行動」や「思考の変化」が大事だと思ったんです。著名な大前研一氏は、「人を変えるのは3つ、環境か人との付き合いか時間の使い方を変える」と言っていましたが、これは新であり偽。
 
例えば、浅草からアメリカに引っ越しても、結局やってることが部屋でゲームだったら、「環境」を変えても何も変わらないと思います。たぶんマックとかバーキンとかの注文できるようになるくらいの英語力はつくと思いますが…。
 
これはちょっと極端すぎる例ですが、何が言いたいかというと「環境」に誘因される「行動」や「思考の変化」からしか自分を変化させるインパクトは生まれない、かつ、それっていうのは長期的に意味はないんじゃないか、ということです。
  

ある程度の時期を経たら、「自分と向き合う」時間が必要。

じゃあどうすればいいのだ、と問われると「ある程度自分の中でインプットの期間を終えたら、雑音を排除して、きちんと自分に向き合う」と思うわけです。自分もそうですし、多くの人もそうだと思いますが、「見栄」とか「他人からの目」とか「家族の目」とか「モテる、モテない」といった価値観が自分にとって大切なのか、そうじゃないのかがごちゃごちゃになってしまっていると思うんです。また、それは「夢」なのか「欲」なのか、自分の感覚を一度整理しないのと、どれが実際の自分の本心なのかわからなくなってきている人が世の中の大半を占めているはずです。
 

結局は「やりたいこと」は自分の中にしかない。

「好きなようにしてください」の受け売りでもあるのですが、つまるところ、自分の中にしか自分のやりたいことやアイディアってないような気がします。正確には、自分の中できちんと蓄積してきた感受性とか感覚。それはきっと化石のように比較的長い時間をかけて小さいときから精製されるようなイメージ。ちょっと前に、たまたま2、3年前のノートを読んだんですが、結局今と考えていること変わらなくて、愕然としました。
 
 

情報を減らしてみる。

「自分に向き合う」ためには、日々のめまぐるしい情報から少し身を引いて、のんびり構えて、意図的にネットのゴシップの情報減らして、読みたかった本読んだり、自分の頭の中をのんびり整理してみたりするのがよいと思います。休暇で1人、遠くに国へ行ってしまうのもいいかもしれません、できればスマホの電波がつながりにくい美しい島とか。私の場合は、海外駐在で強制的に日本離れることになって、なんだかんだ日本(というか東京的な発想)に凝り固まってたんだなーと思った次第です。
 
キャリア志向の人々のサークルでは、「とにかく情報集めて、即行動、ネット活用して高速に行動!」みたいな風潮って少なからずあると思います。確かにそれはそれで大切なんですが、自分で「考える」ことの方がずっと大切だし価値があると思います。結局人間は馬鹿なので、繰り返さないと定着しないですし、すぐに得たものはすぐになくなってしまいます。
 

天命、はない。

そういったことを考えてみた結果、私の場合「俺の天命はこれである。これを成し遂げなければ死にきれないのである」みたいなことは、全く無いんだ、ということが残念ながらわかりました。両親のおかげで、比較的恵まれて育ち、周りの友人にも恵まれて運良く大学・大学院と進み、やりたかった仕事につくこともできています。もちろん、これまで強い意志を持って努力した経験もありますが、執着するほど「絶対にこうしてやる」みたいなことはなかったんです。本当に残念ながら。
 

コンプレックスがないことがコンプレックス。

失礼な書き方になってしまいますが、大成された偉人の多くは、幼少期にコンプレックスを持っていたり、人生を変えるような出来事に遭遇しています。そういった経験が内から生み出される強烈な誘因になって、日々の行動を劇的なまでに変え、大きなことを成し遂げるエネルギーとなったのでしょう。でも私を始め、多くの普通の人はそういった経験もないので、むしろ何もないことがコンプレックスになりかけています。強烈な内なる誘引がない場合は、どこに向かうのがいいのだろうかって。
 

行き着くところは「好きなこと」か「得意なこと」

ここまでの議論から導くに、(私を含めた)普通の人にとって、結局キャリアに対する悩みの根源って、「心が沸き立つほどやりたいことがない・出会ってない」という一言に尽きてしまいます。「俺はまだ本気出してないだけ」と同じで「俺はまだ天職に出会ってないだけ症候群」。もしくはその予備軍(繰り返しになりますが、私も含めて)。
 
 
そうなると普通の人が戦えるのは、「たぶんこんなことが得意・好きそうだ」かつ「これなら人に役に立てそうだ」ということを見つけるしかないんと思うんです。すごく単純なんで、今さらかよ、って感じなんですが、これしかない。「好きこそものの上手なれ」の一言に尽きます。
 

基本的には自分の好きなこと、興味を持てること、かっこいいと思えることを追究すればいいと思います。「それが自分の幸福につながる」「そのことをしていると(考えていると)幸福を感じられる」と思える事柄です。Read more at location 987

 

 

「好き」が難しい。

ここからが一番難しい。自分のことなのに、何が好きかってのは難しいんです。さらにこの「好き」問題を難しくするのは、「可能性を潰したくない病」なんです。世の中には「自分は嫌いなことなんだけど、世間的にかっこいいし、いつか好きになるかもしれない、食わず嫌いかもしれない、挑戦してみよう」ってことが転がっているんです。そして「バランスよくやってみよう」的な発想も世の中に蔓延っている。私もまんまとこの通りに、なんでもかんでも手を出しましたが、今思えば、結局好きじゃなかったために全く役に立たず、身にならず。
 

「好き」にも種類がある。

例えば、「カレーは好きなんだけど、はいってるジャガイモが嫌だ」とかあるじゃないですか。それと一緒で、「仕事の大筋は好きなんだけど、この部分とこの部分とこの部分にしっくりこないから、気分的にはプラスマイナスゼロ」とか。また、逆のパターンで「仕事は好きなことじゃないけど、でも得意だし、人も恵まれてるし、給料もいい」ってなると、判断がしづらい。そしてこれがまさにキャリアの悩みの根源だと思うんです。これを好きにいろいろコバンザメついてる現象」と名付けたいと思います。
 
恋愛にもこの現象は現れて、「この人の顔は好きだけど、性格が」とか「性格がいいけど、しゃくれてる」とか、さらに「この人の家は金持ち」とか「親が強烈で嫌だ」とかいろんな基準が介入してくるわけです。
 

「好き」じゃないと、チャンスは無色透明。

赤い車がほしいと街中に赤い車が走っているように感じる、という話は有名すぎる例ですが、人は感度の高いものしか自分のセンサーに引っかかりません。つまり、漫然と過ごしていると、目の前にある革命的なチャンスを見過ごしている可能性があるということにもなります。つまり、好きなことに着目している時にしか、いいアイディアに出会うことはない。それと一緒で、好きなことに着目していないとキャリアチェンジのチャンスやアイディアは全く掴めない、ということになります。
 

当たり前の結論:スタート地点は「好き」の再確認

結局、私の行き着いた地点は、巡り巡って「好き」の再確認でした。ちょうど今年は30歳を迎えて、長い休みもあるので棚卸しの意味を込めて、今後のキャリアについて考える機会としたいと思っています。
 
「当たり前じゃないか」という話なわけですが、同じように頭をぐるぐるさせてきた方の役に立てばと思って、書き連ねてみました。<完>