気休めなもの。役立ちのもの。

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サルとイヌの共同ブログ

ミニマリズムという高次的欲求は贅沢病か?

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ミニマリズムが注目されて久しいですね。

 

考え方にはとても賛同するのですが、何となく違和感を持つミニマリズム。改めて考えてみたいと思います。なおミニマリズムへの批判ではないのであしからず。

 

独断と偏見による、超中道ミニマリズム論。

 

 

大いに賛同する部分

私がミニマリズムに興味を持ったきっかけになったのはこの本。非常に興味深いです。色々読み漁りましたが、やっぱりこの本が一番おもしろかった。

 

 

乱暴にこの本を咀嚼すると…

 

  • 「モノに固執するのはやめよう」
  • 「モノを基準に他人と比較するのはやめよう」
  • 「モノがなくなるとノイズがなくなって、より『今』を生きることができる」
  • 「『モノ』より『経験』が人生を豊かにする」

 

というもの。

 

探しモノの時間が減る。忘れモノもなくなる。

佐々木 典士. ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ - (Kindle の位置No.1517-1519).  Kindle 版.

 

確かに、人は年間150時間以上もモノを探すことに時間を費やしているようですし、「モノ」に価値基準を置いた他人との比較で不幸に感じてしまうことや「モノ」が増えすぎることによって、意識が散漫になる(「今」に集中できなくなる)のは、自分自身を振り返っても経験があります。

 

また最近の脳科学の研究では、「何もしていない」「ぼんやり」しているときにだけに働く脳の活動「デフォルト・モード・ネットワーク」が存在することが明らかにされてきている。思考したり、何かの作業をしたりしているときには働かず、ぼんやりとして過ごすときだけに活動する脳の領域があるのだ。佐々木 典士. ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ - (Kindle の位置No.1535-1536).  Kindle 版.

 

確かに長期休暇中に、仕事を離れてぼーっとしている時に、ふと仕事の新しいアイディアが意欲が湧くことがあります。

 

なるほど。このデフォルトモードの発生回数をミニマリズムによって増加させることができそうです。

 

 

贅沢病に感じる部分

一方でミニマリズムって贅沢病ではないかと感じることも。以下の3点が私の主張です。

 

  • 基礎インフラに頼っている。その多くは納税と消費(経済活動)に支えられている。ミニマリズムはフリーライドでは?

  • 「マキシマム」を知らないと「ミニマム」になれない。「マキシマム」になることも経験のひとつ。

  • 溜め込むことは、万が一への備えでもある。
 フリーライド?

ミニマリズムに関係する本には「コンビニがあなたの外部倉庫」「Amazonでなんでも届く社会」といった記載がありますが、これは「日本」の基礎インフラがしっかりしているから。

 

その基礎インフラが成立しているのは、国による整備・メンテナンス(主に税収による歳入からの支出)であり、経済活動です。みんなが「ミニマリズム」を始めたら、そもそもその基礎インフラも長い目で崩壊してしまいます。そうなると「ミニマリズム」というのは「マキシマム」に支えられたフリーライド、ということもできるのではないでしょうか。

 

「マキシマム」があるから「ミニマム」がある。

上記の議論ともつながるのですが、国が発展していて、基本的な生活・欲求(いわゆるbasic human needs)が満たされているから、「ミニマリズム」って成り立つと思うんです。

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ミニマリズム」ブームで沸き立っているのって当たり前に先進国なんですよね。「モノ」の恩恵を「マキシマム」に享受して「飽きてしまった」から成り立つ話。

 

かなり乱暴なグラフですが、上表の下位に位置している国の人々に「結局モノたくさん持ってても幸せじゃないし、疲れるからミニマムがいいよ」って誰も言えないと思うわけです。

 

お金持ちの人がワーキングプアの人に「いやぁ、お金たくさん稼いでブランド品買い漁って贅を尽くしたけど別にハッピーじゃないから、モノなくてもいいと思うよ」って言うのと一緒じゃないでしょうか。

 

だからモノより、経験の方が幸せの「持続時間」が長いことが知られている。10万円で買ったコートは着るたびに慣れて、喜びが失われる。しかし10万円で友達と行った海外旅行は、思いだすたびにその喜びは同じように再現できる。思いだすほど、楽しくなくなる、なんてことはないのだ。佐々木 典士. ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ - (Kindle の位置No.1517-1519).  Kindle 版.

 

物質的に満たされない状態から努力して這い上がって、最終的に「モノ」に満たされないと、ミニマムが良い、という発想にはなりません。その点で「モノ」を所有することは「経験」の一種です。

 

人は比較しないと違いを理解できませんから、「モノ」に満たされた経験をしないと「ああ、こんなになくていいんだ」と気付けません。

 

溜め込んでおくことは万が一の備えでもある

加えて、ミニマムに生きることは、災害や万が一の時に脆弱であることを意味します。途上国で生活すると身に染みてわかりますが、飲水が減っていく時の不安や停電に備えた燃料の保管は不可欠です。必然的に生きる知恵として溜め込んでおくのです。

 

途上国でなく日本に住んでいてもある程度の必要な備えは必要です。確率論の問題かもしれませんが、緊急時にコンビニはあなたの外部倉庫にはなりませんし、Amazonも天然水をボックスで届けてくれません。

 

今日の「気休め」:「ミニマリズム」は素晴らしいけれど、バランスが大事。

素晴らしい考えも行き過ぎると当初の輝きを失います。大量消費社会のアンチテーゼとしては非常に合理的ですし、私自身も「モノ」を減らし始めました。環境負荷を下げるために、特に先進国で「ミニマリズム」が浸透していくことは、歓迎すべき事象だと考えます。

 

一方、ミニマリストだけでは世界は成り立ちません。ともすると消費社会の恩恵のみをフリーライド。そもそも「ミニマリズム」という考えを持てることそのものが幸せなことですよね。その点を軽視して「ミニマリズム最高」と言われると違和感を感じてしまう、そこが私の引っ掛かりポイントだったようです。

 

多種多様な考え方のいいところは吸収しつつ、一方でバランスを失わず、しなやかに生きていきたいですね!